大判例

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京都地方裁判所 昭和44年(ワ)1469号 判決

原告

木村竜介こと

宋斗會

右訴訟代理人

小野誠之

外三名

被告

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

原告が日本国民であることを確認する。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告は、大正四年六月八日、当時日本領土であつた朝鮮慶尚北道漆谷郡北三面甫遜洞において、日本国民である父宋源之、母沈相源の三男として出生して日本国籍を取得した。

2  しかるに、被告は、原告が日本国籍を有するものであることを認めず、法務大臣の特別在留許可を受けて日本に在留する外国人登録法(昭和二七年四月二八日法律一二五号)の適用のある韓国人として取扱つている。

3  原告が出生により取得した日本国籍を喪失すべき法律上の原因がないにもかかわらずなされた被告の右取扱いは違憲・違法であるから、原告は被告に対して、原告が日本国籍を有することの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

請求原因1・2は認めるが、同3は否認する。

三  被告の主張

原告は、以下にみるとおり、日本国が連合国と締結した「日本国との平和条約」(昭和二七年四月二八日条約五号、以下「対日平和条約」という。)の発効に伴い、従前、出生により取得していた日本国籍を喪失したものであり、現在日本国籍を有しないものである。

1  朝鮮人の日韓併合後の日本における法的地位について(日韓併合から終戦まで)

朝鮮国家(明治三〇年に国号を「韓国」と改めた。)は、明治四三年八月二九日公布された「韓国併合ニ関スル条約」(条約四号、以下「日韓併合条約」という。)によりその全領土が日本国に帰属することとなり、その領土主権と対人主権が日本国へ譲渡され、その構成員たる朝鮮人に併合当時の住所地のいかんを問わず日本国籍が付与されるとともに、右併合の際に勅令三一八号で「韓国」の国号を再び「朝鮮」と改め、朝鮮総督府が設置された。

ところで、日韓併合後においても、朝鮮人については、朝鮮の歴史的背景と風俗、習慣等の特殊性に基づき、従来の日本の国内法令がそのまま適用される本来の日本人である内地人とは異なり、法的地位において明確に区別されていた。

(中略)

(終戦から平和条約発効まで)

昭和二〇年九月二日降伏文書の署名が行なわれ、日本の統治権は連合国最高司令官の制限下におかれ、同年一一月一日に発せられた「日本占領および管理のための連合国最高司令官に対する初期の基本的指令」において「在日朝鮮人を事実上の安全が許す限り解放人民として処遇する。しかし、朝鮮人はこの指令に使用されている日本人には含まれないが、従来、日本国民であつたのであるから必要な場合は敵国人として処遇する。」という趣旨のことが規定され、また昭和二一年四月二日連合国最高司令官から日本政府あてに発せられた「非日本人の入国および登録に関する覚書」においては、在日朝鮮人を「非日本人」として登録させることが要求され、更に、同年五月七日に発せられた「日本人および非日本人の引揚に関する覚書」でも「非日本人」として日本から引揚げさせることを指令していた。そのうえ、終戦直後から続いていた朝鮮人の日本からの引揚は昭和二一年夏以来低調になるとともに在留を継続する者が数十万人にのぼることが明らかとなり、加えて多数の不法入国者の潜入があり、他の外国人の居住状況も把握して終戦後の社会混乱を治め秩序を回復するために日本政府は、昭和二二年五月二日「外国人登録令」(勅令二〇七号)を公布施行し、その一一条一項に「台湾人のうち内務大臣の定めるもの及び朝鮮人は、この勅令の適用については、当分の間これを外国人とみなす。」と規定し、対日平和条約発効までは法的には日本国籍を持つ朝鮮人をも登録の対象とした。これは、ポツダム宣言受諾により日本の主権が本州、北海道、九州および四国に局限されることとなり、日本の占領が撤廃されると同時に朝鮮が独立し、台湾が中国に復帰することが予定されていた等当時の特殊事情によるものであつて、朝鮮人も原則的には日本国籍を保有していることを前提としながらも、かかる特例を設けたものである。

そして、右取扱いの対象となる朝鮮人とは、昭和二〇年以前に朝鮮戸籍令の適用を受けていた者で、日本国内法上朝鮮人としての法的地位をもつたものをいうものと解されていた。

(平和条約発効後について)

対日平和条約二条(a)項は「朝鮮の独立を承認して、済州島、巨文島および欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」と規定しており、これにより、日本が朝鮮の独立を承認し、朝鮮に対する領土権一切を放棄したことを意味するが、領土変更に伴う国籍の変動については、右条約は、明文をもつて規定していない。しかし、領土変更に伴つて国籍に変動があることは国際法上通例のことなので、日本国が統治権を放棄して独立国となつた朝鮮の国籍を取得すべき者の範囲の決定については右条約の合理的解釈に委ねられるところ、右条項は、日韓併合により消滅した朝鮮民族国家を復活させるために日本が朝鮮の領土と朝鮮人に対する主権を放棄し、朝鮮にその領土と国民を回復させる趣旨であるから、その領土変更に伴う国籍の変更も、朝鮮地域に現在する朝鮮人のみではなく、もし、朝鮮国家が日本に併合されなかつたならば引続き朝鮮国籍を保有し、また、新たに同国籍を取得したであろう者はすべて朝鮮国家の構成員とし、同時に日本国籍も喪失したものと解するのが合理的である(中略)。

2  領土変更に伴う国籍の得喪について〈略〉

3  原告の日本国籍の得喪について

原告の父母はともに朝鮮人で、原告の出生地・本籍地は朝鮮慶尚北道漆谷郡北三面甫遜洞であるところ、原告の父母を含む朝鮮人は、日韓併合による領土変更により日本国籍を取得していたもので、旧国籍法に基づいて日本国籍を取得したものではなく、したがつて、日韓併合により日本国籍を取得した朝鮮人を両親として併合後に朝鮮において出生した原告も、朝鮮には旧国籍法が適用されなかつたことから旧国籍法四条にいう「日本において生まれた子」の中には含まれず、あくまでその両親が日韓併合条約の結果取得した法的地位に基づいて日本国籍を取得したもので、対日平和条約の発効によりこの法的地位が失われればその子孫たる原告も日本国籍を失うものである。

四  被告の主張に対する原告の反論

原告が対日平和条約二条(a)項により日本国籍を喪失したとする被告の主張は、以下にみるように理由がない。

1  原告の国籍について

原告は、以下にみる理由により、出生により取得した日本国籍を現に有するものである。すなわち、

原告は、出生により日本国籍を取得し、以来日本国民として生育し教育を受け、日本国民としての権利を有し義務を果たしてきたものであり、朝鮮の言語・習慣等も知らず、母死亡直後の大正九年頃父に連れられて朝鮮から日本内地に来た後、京都府竹野郡網野町所在の日蓮宗本覚寺二五世木村日英の徒弟となり、木村姓を名乗ることとなり、昭和六年木村日英が急逝したため同人との養子縁組が行われず戸籍上の処理はなされなかつたが、実父・実兄がいずれも丸山姓であるのと異なつていた。更に、原告は日本人としての意識から昭和三八年に至るまで外国人登録を拒否してきたのであり、原告はその出生以来現在に至るまで国籍離脱の意思表示もなしたことはない。

2  対日平和条約と朝鮮人の国籍について〈以下、事実省略〉

理由

一請求原因1(原告の日本国籍の取得)の事実については当事者間に争いがない。

右認定事実によると、原告は出生により日本国籍を取得したことが明らかであり、また、弁論の全趣旨によれば、原告は、朝鮮の戸籍に登載されていた者であることが認められる。

二被告は、原告が対日平和条約の発効に伴い日本国籍を喪失した旨主張するので、以下この点につき判断する。

1  およそ、一国の法律はその領土内で行なわれ、法律の施行地域はその国の領土全域に及ぶのが通例であるが、本来統一法国であつても、国家の連合・併合、領土の割譲などの結果、風俗・慣習を異にする民族により国家が構成されることとなる場合には、当該領土変更を生じた地域に施行すべき特別の法律を制定する等により異法地域の発生をみることがあるところ、朝鮮(明治三〇年に韓国と改称されたが、日韓併合に伴い朝鮮となつた。以下「朝鮮」という。)は、明治四三年八月二二日に締結され、同月二九日公布された日韓併合条約により日本国(当時は大日本帝国)に併合され、その後昭和二七年四月二八日に対日平和条約が発効して日本国の領土から分離独立するまで、内地とは区別されて台湾・関東州・南洋諸島とともに異法地域(外地)を形成していた。すなわち、

(一)  日韓併合により、従前韓国の統治権に服していた朝鮮人(その範囲については、後にみるように民籍法による民籍に登載されていた者である。)には、右併合当時朝鮮国内に住所を有するか否かを問わず一律に日本国籍が付与されることとなつた。そして、日韓併合に伴い、明治四三年八月二九日に勅令三二四号「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル件」が、さらに、明治四四年三月二五日に法律三〇号「朝鮮ニ施行スヘキ法令ニ関スル法律」が公布され即日施行されたが、右法律には朝鮮における立法事項は朝鮮総督府の発する制令により規定しうる旨及び内地に施行されている法律の全部又は一部を朝鮮に施行する必要がある場合には勅令をもつてこれを定める旨規定され、右法律に基づいて明治四五年三月一八日には制令七号「朝鮮民事令」が公布され、同年四月一日から施行され、右朝鮮民事令一条により内地に施行されていた多くの法律が朝鮮においても施行されることとなつたが、旧国籍法(明治三二年法六六号)及び「外国人ヲ養子又ハ入夫トナスノ法律」(明治三一年七月九日法律二一号)については朝鮮において施行されることはなかつた。さらに、日韓併合後、内外地間の法律衝突問題を解決して相互の連絡調整をはかることを目的とする共通性が大正七年四月一七日に法律三九号として公布され、大正一〇年六月七日府令九九号により「朝鮮人ト内地人トノ婚姻ノ民籍手続ニ関スル件」が制定され、内地人と朝鮮人間の婚姻届出の手続を定められたが、朝鮮は内地とその風俗・慣習を異にするため、朝鮮民事令一一条において、朝鮮人の親族・相続に関する事項については同条所定の事項及び別段の定めのある場合以外は朝鮮の慣習によるものとされ、朝鮮に本籍を有する朝鮮人については朝鮮民族本来の慣習の適用が認められていた。

(二)  また、戸籍関係においても、日韓併合前に朝鮮人について適用されていた民籍法を廃止し、同法にかえて大正一一年一二月一八日府令一五四号により「朝鮮戸籍令」が定められ、従前民籍に登載されていた朝鮮人はすべて外地たる朝鮮の戸籍に登載されることとなつたが、内地に本籍を有する日本人は旧戸籍法(大正三年法律二六号)の適用を受けて内地の戸籍に登載されることとその取扱いを異にし、内地・朝鮮・台湾には各別の戸籍制度が併立し、各戸籍は内地人・朝鮮人・台湾人の各身分籍としての性格を有し、右各戸籍に登載されていた者は身分行為によりその身分に変動が生じない限り、他の地域に本籍を移転したり定めたりしえないものとされていた。

2  対日平和条約二条(a)項は「日本国は、朝鮮の独立を承認して、……朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」旨規定しているところ、原告は右条項は領土条項にすぎず、朝鮮人(特に在日朝鮮人)の国籍変更に関連する条項ではない旨主張し、右条項が右条約の第二章領域中に規定され、明文で朝鮮人の国籍について規定されていないことは明らかであるが、領土変更に伴つて割譲地住民の国籍に変動のあることは国際法上通例のことであり、国籍の得喪については各国の国内法によるほか国際条約によつても定めることができるというべきうえ、対日平和条約は、一九四三年一一月二七日カイロで署名されたカイロ宣言により「……三大国は、朝鮮の人民の奴隷状態に留意し、やがて朝鮮を自由独立のものにする決意を有する。」との連合国の決意が表明され、一九四五年七月二六日ポツダムで署名されたポツダム宣言八項において「カイロ宣言の条項は、履行せらるべく、又日本国の主権は、本州、北海道、九州及四国並に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」と前記カイロ宣言の趣旨が再確認され、日本領土の戦後処理に関する四大国の将来の方針が明らかにされていたことから、同年八月日本国の右ポツダム宣言の受諾により日本国の主権が事実上及ばなくなつていた朝鮮の領有権につき、日本国がこれを放棄してその独立を承認したものであるから、対日平和条約(a)項の「朝鮮の独立を承認」するとは、朝鮮の領土及び住民の日本国からの分離独立を承認することを意味し、また、「朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」とは朝鮮の領土及び住民に対する日本国の主権による支配の放棄を含み、朝鮮人の日本国からの独立の承認及び朝鮮人に対する日本国の対人主権に基づく支配権の放棄のうちには、日本国が朝鮮人に付与していた日本国籍の放棄も含まれると解せられ、前記条項は領土条項であるとともに朝鮮人の日本国籍喪失に関する規定とみるべきものである(甲第一七号証参照)。

3  そして、対日平和条約発効とともに日本国籍を喪失する朝鮮人とは、日韓併合後の日本国内法制上朝鮮人としての法的地位を取得した人をいい、具体的には、朝鮮戸籍令の適用を受け朝鮮の戸籍に登載されていた人をいうと解すべきである(最高裁昭和三六年四月五日大法廷判決・民集一五巻四号六五七頁、最高裁昭和四〇年六月四日第二小法廷判決・民集一九巻四号八九七頁参照)。

原告は、戸籍は国籍とは別個の制度で、日本国内法制上の朝鮮戸籍への登載を基準に朝鮮人の日本国籍喪失の決定基準とすることは、右戸籍が家制度を前提としていたことからも日本国憲法二二条に反する旨主張し、家制度が日本国憲法下では容認しがたく、戸籍は国籍の有無及び得喪を公証する目的をもち国籍関係の一応の証拠資料としての機能を営むもので、国籍の取得または喪失の効果を創設する作用を有するものではないが、日本国内法制上区分されていた各戸籍は、日本国籍内部における内地人・朝鮮人・台湾人といわば民族集団を区別する識別基準とみられ、朝鮮人の独立を承認し、新たに形成されるべき国家の構成員となるべき朝鮮人を決定するにあたり、日韓併合後の経緯・朝鮮独立の意義や朝鮮地域の事情に照らしても、右民族集団の識別基準とみるべき戸籍を基準とすることには合理性があるというべきである。

本件において、原告は前示一のとおりいずれも朝鮮人である両親から日韓併合後に出生し、朝鮮の戸籍に登載されていた者であり、日本国内法制上朝鮮人としての法的地位を有していた者であるから、対日平和条約発効とともに日本国籍を喪失したものというべきである。

4  原告は、対日平和条約の発効に伴い朝鮮人である原告の日本国籍を喪失させることは、国籍の変更は個人の自由意思に従うべきであるとするいわゆる国籍非強制の原則に反する旨主張するが、右原則はいまだ国際慣習法として確立しているわけではないうえ、これが国籍変更を生じるすべての場合に適用されるべき、例外を認めない原則であるともいい難く、また、対日平和条約による朝鮮の領土変更は前示のようにカイロ宣言の趣旨を再確認したポツダム宣言の受諾の結果締結されたもので、日韓併合条約により日本国に併合されていた朝鮮の独立を承認し、右地域における民族国家の形成を予定するものであるから、日本国が朝鮮人に付与していた日本国籍を朝鮮の独立を承認するに伴い喪失させる結果となつたとしても、前記国籍非強制の原則に反するとは直ちにいい難いところである。

5  さらに、原告は対日平和条約締結に至る経緯や立法例等から朝鮮人に国籍選択権が認められるべき旨主張しているところ、領土割譲・変更に伴い割譲地住民は新領有国の国籍を取得してその国民となるのがなお国際法上の原則というべきであり、割譲地住民が旧領有国の国籍を取得し右住民に新領有国の国籍の付与を認める意味での国籍選択権は認め難いが、割譲地住民に旧国籍を取得する権利を付与する意味における国籍選択権については、その主張の対日平和条約締結前の事情(原告の反論2(五)参照)によれば、右条約において明文化が予定されていたとする余地は残るものの、対日平和条約自体において、国籍選択権についての明文も、それを窺わせるに足りる規定もなく、国籍選択権を認める選択権者の範囲・選択の態様と効果・選択に伴う選択権者の義務・選択期間等が具体的に定められる必要があることなどに照らせば、対日平和条約においては、朝鮮人が従前有していた日本国籍の取得を認める意味における国籍選択権については、これを認めないといわざるをえない。

6  加えて、原告は、対日平和条約発効に伴い原告が日本国籍を喪失するのは、日本国憲法九八条に違反する旨主張するが、右結果自体が対日平和条約によるものであることなどに照らせば、そのことが日本国憲法九八条に反するものとはいい難いところである。

三以上のとおり、朝鮮人は対日平和条約の発効により日本国籍を喪失したものといわざるをえず、原告本人尋問の結果その他本件全証拠によつても右認定を覆すに足りない。よつて日本国籍の確認を求める原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して主文のとおり判決する。

(田坂友男 東畑良雄 岡原剛)

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